Top > お寺の歴史 > 薬師如来と義経伝説(12世紀末)

薬師如来と義経伝説(12世紀末)

薬師如来のこと

お寺に入って左、庫裡の反対側に、お薬師さまをお祀りするお堂があります。
そのお薬師さま、もともとは個人の持ちものでした。淀に住み、石清水八幡宮に代々仕える身分であった、河原﨑忠俊(かわらさきただとし)という人です。
平安時代が終わりに近づき、平氏から源氏の世に変わりつつある治承3年(1179)、忠俊は、お薬師さまを祀るお堂を建てました。こうして、お薬師さまを本尊とするお寺として、歴史が始まったのです。


はじめは、「高聖寺」という名で、法相宗(ほっそうしゅう-本山は奈良・興福寺)でした。後に「西願寺」と変わっているらしいのですが、このあたりの詳しいことはわかっていません。
また、今とは場所が違うのですが、当時、淀のどのあたりにあったのかもわかりません。

 

義経伝説のこと

「東運寺」の名前にはこんな伝説もあります。
源義経が兄の頼朝に追われ、姿を隠していたときのことです。
河原﨑忠俊はある日、流れてきた義経をかくまい、淀川から船で逃がしました。これが頼朝の怒りを買い、忠俊は打ち首を命じられます。
あわや刀が、その首を切り落とそうとしたそのとき、鳩が2羽舞い降りて刀に止まったのです。

頼朝は、この鳩を八幡神の使いとみて、忠俊を許します。忠俊は、「東(鎌倉)」の「運」にかなったと感じ、みずから建てたお寺の名を「東運寺」としたということです。

Top > お寺の歴史 > 薬師如来と義経伝説(12世紀末)

Return to page top