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曹洞宗東運寺始まり(17世紀)

淀藩主永井尚政公のこと

寛永10年(1633)、徳川2代将軍秀忠の老中であった永井尚政(なおまさ・1587-1668年)公が淀藩に入り、淀城の初代城主となられました。
これは淀の歴史上では大きなできごとであり、東運寺の始まりにも深く関わっています。

当時の淀は京都と大阪を結ぶ交通の要所であり、治安上のポイントでもありました。そんな重要地を任された尚政公は城下町の開発を進め、淀藩の基礎を築いたと言われています。
ちなみに、いま東運寺のある「淀新町」という地名は、そのときの開発によって新しく作られた町であったところから来ているようです。寛永14年(1637)から翌年にかけてのころです。

 

尚政公と興聖寺のこと

あるとき尚政公は、道元禅師が日本で最初に開かれた道場である「興聖寺(こうしょうじ)」が領内にあったこと、そして、それがいまは廃絶していることを知りました。
そのことを惜しんだ尚政公は、両親の菩提を弔うため、伏見城の遺構をもちいて宇治の地に再興するのです。慶安元年(1648)と言われています。

住職には当時高名であった、萬安英種(ばんなんえいしゅ・1591-1654年)禅師が入られました。
そして、その萬安禅師が東運寺の開山(初代住職)となられるのです。

 

曹洞宗東運寺始まりのこと

新しく作られた「淀新町」、つまり現在の地に東運寺が建てられたのは、1650年代であろうと言えるくらいで、正確にはわかっていません。
ただ、万治2年(1659)に曹洞宗となるという記録がありますので、当初から曹洞宗の寺院であったことは間違いないでしょう。萬安禅師が開山に、尚政公が開基となって、興聖寺の後見寺として始まったのです。

また、古い歴史を持つ薬師如来像も、おそらく同じ時期に今の場に祀られていただろうと思います。
薬師堂内には「寛文12年(1672)と記された飾り」が、堂前には「延宝3年(1675)と記された手水鉢」が、それぞれあって往事の姿が想像できます。

 

堂内の飾り。
薬師堂建立の寄進者のお一人である、大濵元春氏のお名前や、寛文12年12月吉日という日付が出ています。

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