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道元禅師は京都のおかた(2013.1.26)

1月26日は、道元禅師のお生まれになった日です。

福井にある、大本山永平寺の印象が強いでしょうか。じつは出生は京都。前半生も、京都でお過ごしになっています。さらに亡くなった場所も京都。市内には禅師ゆかりの場所が点々と存在するのです。

禅師がお生まれになったのは西暦1200年。鎌倉幕府初期ですね。
ご両親については諸説あり、現在でも確定していません。父は新興の権力者と知られた久我通親(こがのみちちか)か、その長子久我通具(みちとも)のどちらかと言われています。最近の研究では通具説が有力のようです。
母は摂政・関白を歴任した実力者松殿基房(まつどのもとふさ)の三女である、伊子(いし)と伝えられますが、これもはっきりとはわかっていません。

通親の別宅があったところ(京都市伏見区)には、誕生を顕彰した誕生寺があります。

 
数え8歳で母(伊子)を亡くした禅師は早くから仏門を志し、14歳で当時の仏教の中心だった比叡山に登ります。翌年、ときの天台座主公円僧正について得度。お坊さんの仲間入りを果たしました。
比叡山北部の横川(よかわ)にある元三大師堂向かいの山道を下っていくと、得度されたお堂跡に建つ石碑におまいりできます。


得度霊蹟遠景


得度霊蹟近景

 
比叡山で禅師は、「私たちは生まれながらにして仏と教えられたが、ならば、高僧といわれる人たちは、なぜわざわざ修行されてきたのだろうか」という疑問を持たれます。

納得できる答えをなかなか得られなかった禅師は、比叡山を降りて建仁寺(京都市東山区)の栄西禅師を訪れます。そこは当時新進の禅宗(臨済宗)の道場でした。
そこで中国(宋)入りを勧められ、24歳のときに日本を離れます。いくつかの道場を巡ったのちに、上海に近い寧波という町にある、天童山景徳寺にて如浄(にょじょう)禅師という理想の師匠と出会います。

天童山で禅師は、「ただただ修行している中でこそ、私たちは仏となることができる」ことをおさとりになり、如浄禅師から認められます。26歳のときです。

 
28歳で日本にお帰りになった禅師は、まず建仁寺に寄られ、安養院(京都市伏見区)というお寺におられました。
安養院は後に場所が少し変わり、現在は欣淨寺(ごんじょうじ)というお寺になっています。小野小町と深草少将との恋物語の舞台としても知られ、丈六(約5.3m)の大仏がご本尊としておまつりされています。

そして34歳にして、安養院の近くであたらしいお寺をお開きになります。興聖寺(こうしょうじ)と名づけられたそのお寺は、日本最初の曹洞宗寺院であり、禅師の理想とする道場を具現化したものでした。

 
44歳まで京都におられ、その後は越前に移り、大本山永平寺を開かれた禅師ですが、54歳の夏、病気療養のため生まれ故郷の京都にふたたび入られます。
そしてその秋、現在の京都市下京区にあった俗弟子の私宅で亡くなられるのです。9月29日のことです。

 

禅師のご遺体は、東山のふもと、いまの円山公園南で荼毘に付されました。上写真の「荼毘塔」は、昭和29年に完成したものです。

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