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そのきさらぎの望月のころ(2015.2.15)

「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」

という、短歌があります。
平安時代終わり(源平合戦のころ)に活躍した歌人の西行法師が、お釈迦さまのご命日、涅槃会にちなんで詠んだものと言われています。きさらぎの望月とは旧暦の2月15日。新暦では4月初めくらいのようですね。花とは桜のことです。
現代のお寺では、その2月15日(地方によっては月遅れ)という日を涅槃会にあて、お釈迦さまを慕う1日としています。

花の下、というと、伊丹十三監督の映画『お葬式』が思い出されます。
ラストシーンで主人公役の山崎努が、火葬場で舞う桜吹雪を見て「オレは春に死ぬことに決めたよ」という感じのセリフを言ってます。日本人だからでしょうか、私もその心情はわかる気がします。

 
でも実際には、私がたまに耳にするのは、死にたい季節というよりも「まわりに迷惑をかけないで死にたい」という言葉です。
これを美徳と取るのか、はたまた、周囲との断絶を思わせる悲劇と取るのか、それぞれ事情はあることでしょう。

おまいり先で、「和尚さん、できれば子どもに迷惑かけて死にたくないねぇ」とおっしゃる方に、
「ああ、私もそう思います。でも、迷惑かけないで死ぬなんて出来ないですよね(笑)」と返事をすると、相手も苦笑してしまわれることもあります。

「迷惑をかけたくない」と口にする人も、おそらくはそれが不可能であることにうすうす気づいてはいるのだと思います。
「迷惑をかけない」ことはむずかしい話ですよね。とりあえずは、「あなたになら迷惑をかけられてもいい」関係をお互い築こうとすることは、美徳と言えるでしょうか。

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