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一人の尊さと、一人の辛さと(2016.9.19)

リオデジャネイロで開催されたオリンピック・パラリンピックは、たくさんのドラマを残し、ぶじに終わりました。みなさんは、どの競技が強く印象に残ったでしょうか。

五輪競技に限りませんが、選手の方々が「自分との闘い」や、「ライバルは自分自身」という言いかたをされることがあります。きびしい練習に向き合うとき、それはたしかに自分との闘いなのでしょう。その試練を通ることによって、試合で良い結果がついてきたり、たとえ負けたとしても、納得のできる終わり方であったりするのかも知れません。

苦しいときがあっても、望まない結果になっても、誰かに替わってはもらえないアスリートたち。なかなかに辛いことですね。だからこそ、「自分との闘い」という表現になるのでしょう。

これはしかし、一流スポーツ選手の限られた話しではありません。私たちにとっても、人ごとではないのです。私たちもまた、自分の人生(どんなに平凡なものであっても)を、誰かと交代することなく生きていかなければならないからです。

 
お釈迦さまは「天上天下唯我独尊」という言葉で、一人一人がそれぞれ持っている、尊さをお示しになりました。それは、「交代のきかないという、かけがえのなさ」です。そして、同時にその中には、「交代のきかない辛さ」も含まれているのです。

 
私たちはその辛さを、どうやってやわらげていけば良いのでしょうか。
もしかするとそれも、オリンピックの舞台から学べるかも知れません。

 
今回のオリンピックでは、チームの団結力にも目をひかれました。みんな自分との闘いをへて、その尊さと辛さを知っているからこそ、つながることができるのでしょうね。
私たちもおなじように、その尊さを忘れず、その辛さをわかり合おうとしながら、力を合わせて生きているのです。「一人の尊さ」は、けっして一匹狼を目指すものではありません。「一人の辛さ」とは、けっして孤独に耐えながら闘わなくても良いのです。

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