お仏壇の中を、ちょっとのぞいてみてください。いちばん上段のご本尊さまの右側に、お袈裟をかけた和尚さんが座っておられませんか?
それが日本に曹洞宗お伝えになり、大本山永平寺の初代住職となられた道元(どうげん)禅師です。(右が赤い衣のダルマさまのときは左です。おられない場合もあります)

道元禅師は正治2年(1200)のお生まれ。鎌倉時代が始まったばかりのころです。わずか8歳で母親を亡くした禅師は、13歳で比叡山に上り、修行の生活に入られました。

禅師は比叡山で「衆生はもともとから、悟った仏である」と習います。ところが、「もともと悟っているなら、なぜ、お釈迦さまをはじめ先人たちは厳しい修行をしてきたのだろうか」という疑問を持たれます。
その答えを探しに、24歳で中国(宋)に渡ります。そしてすばらしいお師匠さまに出会われ、「お釈迦さまや先人たちとおなじように、修行をしている姿こそが、悟りの姿となるのだ」と気づかれます。「限られた命の中で精いっぱい生きつづけるからこそ、苦しみ悩みを乗りこえていける」というお釈迦さまの教えを、そのまま受け継がれたのです。

 

その悟りの信念をたしかなものとされた禅師は、34歳で京都深草に興聖寺(現在は宇治に移転)を、44歳で福井の大本山永平寺をお開きになり、54歳でお亡くなりになりました。

 

東運寺の道元禅師さまは、本堂の奥にある「開山堂(かいさんどう)」の真ん中に座っておられます。高さおよそ1mの、お寺でいちばん大きな仏さまです。

このお像、むかしは宇治の興聖寺にあったそうです。
興聖寺が建仁寺にあった、鎌倉時代以来の由緒深い禅師像を譲り受けたことにともない、もともとおまつりしていたお像を、東運寺に移したものと伝えられています。江戸時代なかごろ、宝暦元年(1751)禅師500回忌のおりのことです。