立秋を迎え、残暑のお見舞いを申し上げます。
今年の暑さは、とても長くなりそうです。熱中症が怖いですね。ひどければ命に関わる病気。年齢や体力に関わりなく、かかってしまうものです。くれぐれも、お気をつけください。

 
その暑さにちなんではありますが、みなさまは、「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」という言葉をご存知でしょうか。禅の世界では、有名な言葉です。

もとは中国の「杜荀鶴(とじゅんかく)」という人の詩で、それを後の和尚さま方が使うようになり、『碧巌録(へきがんろく)』という古い禅の語録にも出てまいります。

 
さてさて、禅語らしい、なんとも無茶な言い回しです。
ただ、禅語には裏の意味があるものです。みなさまは、どんな意味があるとご想像なさいますか。

 
修行が進んで悟りをひらけば、火炎すら熱くなくなる超能力を得る、ということでしょうか。

いえいえそれは違います。どんな偉い和尚さまですら、火に触れれば火傷を負うでしょう。

 
それでは、修行が進めばガマン強くなり、多少の暑さであれば辛抱できるようになる、ということでしょうか。

いえいえそれでも正解とは言えません。辛抱しすぎて熱中症になってしまったら、修行どころではなくなってしまいます。

 
いったいこの言葉の真意は、どこにあるのでしょう。参考までに、こんな会話がございます。

 

「どうしたいおまえさん、ずいぶん疲れた顔をしてなさるじゃないか」

「この暑さですよ、和尚さん。ものは食べられない、夜も眠れない。まいってます」

「いやわかるよ。寒いのもいやだが、この暑さも殺生だ。外に出られやしねえなぁ」

「あんたは物知りだ。いったい暑さや寒さから、どうやったら逃れられるもんですかね」

 
なかなか突飛なことを言う男。しかし物知りと言われちゃ、和尚さんも負けてはいられません。

「そりゃあかんたんなことだよ。暑さ寒さをなくしてしまえばいいのよ」

そんなことを言いだす始末です。

 
「和尚さん、暑さも寒さもなくしてしまうなんて、誰にだってできゃあしねえよ」

「かんたんなことよ。心頭を滅却すれば、火も自ずから涼しって言うじゃねえか。暑いときにゃあとことんうだり、寒いときにゃあとことん冷え込めばいいのさ」

「なんだそりゃ。けっきょく暑さも寒さも、あるんじゃないですかい」

「それよ。夏に雪を降らせるなんてことはできやしねえ。暑さ寒さから逃げるのはできねえ相談だ。そこから逃げられんとわかったら、とにかく覚悟するしかねえ」

「なんだそりゃ。あたしは逃げ切ってみたいよ」

 
 
どうも「心頭滅却」しても、暑さそのものがなくなるわけではなさそうです。ここで言う「涼し」は、火の熱さがなくなることではないのですね。

 
禅語辞典で「心頭」と引くと、「取捨憎愛する心」と出てきます。愛するものを取りたい、憎むものを捨てたい心。ものごとが自分の思い通りになって欲しいという、欲望を指しています。

思い通りになって欲しいという欲望が、うまくかなえば万々歳です。しかし私たちは、かなったらかなったで、もっともっと欲しいと思うのです。滅却して、ほどほどで抑えないと、いつかやってくる「覚悟するしかない」場面に出会ったとき、余計にまいってしまうのです。

 
ただ、覚悟するにしても、そうかんたんではないことは、ご想像ができるかと存じます。
まずは小さなところから。まずはご無理のないところから。みなさまも、ご自身の力を信じて、教えを伝える言葉を信じて、心頭を滅却して安らぎの日々をお送りいただけますように。