「縁を深く信ずれば、自ずとやることは見えてくる」

ある和尚さんが、ふと漏らされた言葉です。

ただ「縁を信じる」とは、耳ざわりがいいわりには、わかりにくい言いかたかもしれません。
縁とは、夫婦の縁か親子の縁か、友だちの縁かご近所の縁か。その縁を、どうしてわざわざ信じなくてはならないのでしょうか。いい縁ならいくらでも信じたい。でも、悪い縁を信じたくはないですよね。

しかし、生きていればいい縁も悪い縁も必ずついてきます。愛するものと出会う縁、別れる縁。病気になる縁、治る縁。人生の経験を積む縁、その分年老いる縁。

こうして見ると、いいだけの縁、悪いだけの縁というのは、どうもないように思います。ひとつの中に、 いい縁も悪い縁も両方入ってしまっているようです。

 

ここが、縁というものを考えるポイントかと思います。

 

やってくる縁をどう受け止めるか。

思わぬ不幸、試練ととるかステップととるか。

棚ぼたの大成功、チャンスととるか警告ととるか。

当たりまえの日常、かけがえのなさに気づくか。すっと通りすぎてしまうか。

 

このとりようが、そのまま縁の中身になろうかと思います。
信じるとは、その縁が自分の人生にとって何であるのか、そこに気づくことでしょうか。信じる中身は、次の行動の基準になります。信じる中身によって、行動の結果は変わるかも知れません。変わらないかも知れません。

 

ただ、結果を受け止める気持ちは、ぐっと変わってくることでしょう。
縁を深く信ずれば、自ずとやることは見えてくるのです。