東日本大震災が起きてから、まもなく一年がたとうとしています。
いまだ行方不明の方も多く、復興の道のりはなかなか遠いと言わざるをえないでしょう。なんといっても、放射能もれ事故による被害に、私たちはどう向かっていけばいいのか、途方に暮れてしまうことがあるのだろうと思います。

 

昨年暮れ、お二人の女性が訪ねてこられました。 どちらも福島の方で、京都に自主避難されたとのこと。地震そのときの生々しいお話しや、心揺れながらも京都まで来られた経緯などをうかがいました。
どちらも小学生のお子さまがおられ、その子の気持ちを気遣いながら引越しを決意された裏には、希望と失意とがない交ぜになった思いがあるのだろうと想像します。
京都新聞が、京都や滋賀に避難された50名の方からとったアンケートで、なんと過半数の28名が永住を決めたり検討されているという結果を発表しました。
ここにも、まさに身を削るような決断があったことでしょう。

 

また、ある被災された女性が書かれた文章を、読む機会もありました。
そこでは、たとえば、朝起きて窓を開けて深呼吸する習慣がなくなり、洗濯物を外に干せなくなる毎日のこと。

何も言わなくても、線量計とマスクを身につけて外出する六歳の娘の姿に胸が痛み、将来結婚できるかが、今から心配になってしまうこと。

明日にはこの家を遠く離れるかもしれない、と毎晩考え、それでも明日もこの家で暮らせますように、と毎晩祈ること・・
などなど、切実な思いを吐露されていました。(元文章 → こちら

 

まさに日本は、たいへんな問題を抱えてしまったのだな・・・とあらためて感じます。福島出身の子どもが差別される事件を耳にしたりすると、ほんとうにつらい気持ちになります。
被災した人も被災しなかった人も、これ以上、苦しい思いをすることがなく、安心して暮らせるようになるためにはどうすれば良いのか。日本が試されているようにも思えます。