曹洞宗の大本山、横浜にある總持寺において、今年から10年間をかけて大遠忌(だいおんき―50年にいちどの、本山の大法要)が行われます。
初代住職である瑩山(けいざん)禅師700回忌と、2世住職峨山(がさん)禅師650回忌に供養を申し上げる本山のおまつりです。
瑩山禅師は文永元年(1264)、いまの福井県でお生まれになりました。日本で曹洞宗を開かれた道元禅師から数えて、3代下のお弟子さまにあたります。
禅師は人々の幸せを願って修行に打ち込んでこられましたが、あるとき、それだけではその思いは人々に伝わりにくいと、お気づきになりました。
そこで、仏さまの教えを人々のものとするために、わかりやすい法要に取り組まれます。伝統を受け継ぐと同時に、その伝統を時代にどうやって合わせるのかに、心をくだいてこられました。
まさに日本に曹洞宗が根付く基礎をお作りになった方なのです。
曹洞宗では、お釈迦さまより代々のお弟子さま方によって、その教えが伝えられてきたことを大切にしています。そのため、お弟子さま方がどのようにお伝えになってきたかを、記録したものが多く残されています。どんなに素晴らしいものでも、それが伝えてこられなければ、消えてしまう恐れがあるからです。仏さまがお説きになったこともおなじです。
瑩山禅師も、数々のお弟子さま方が、どのような生涯を送り、どのような言葉を残されたかを『伝光録(でんこうろく)』という書物になさいました。何をたいせつにして、どんな思いで、仏教が伝えられてきたかを明らかにするためです。
(東運寺におまつりされる瑩山禅師については、こちらもご覧ください)
峨山禅師は、鎌倉時代半ばの建治2年(1276)いまの石川県に生を受けられました。
幼いころから仏さまへのあこがれを強く持ち、比叡山での修行中に出会った、瑩山禅師の弟子となられます。
あるとき峨山禅師は、師匠より「月がふたつあることを知っているか」と問われます。
ところがそのときは、意味がわからず答えることができませんでした。
それから2年たって、空に浮かぶ月は仏さまそのものを指していること、私たちに宿る仏さまの心がもうひとつの月であることをお気づきになり、認められます。
「ふたつの月」は、仏さまのみ教えと、それをまねて実践する私たちのふたつを指しているわけです。どちらか一方が欠けても、仏さまの心を後世にきちんと伝えることはできない、というお示しでもあります。
その後は91歳まで長生きされ、多くのお弟子様を育てられました。大本山總持寺の2世住職としてお寺運営の基盤を整備され、教団としての曹洞宗を、確固たる存在になされたのです。
そのご功績から、曹洞宗第3の祖としての尊敬を受けられています。