すこし不思議に思われるかも知れませんが、曹洞宗には大本山が二つあります。一つは福井県の永平寺。禅の修行道場として有名ですね。
もう一つは横浜市鶴見区にある總持寺(そうじじ-公式サイトこちら)。今回ご紹介する瑩山(けいざん)禅師がお開きになりました。

 

瑩山禅師は文永元年(1264)今の福井県でお生まれになりました。日本に曹洞宗を伝え、永平寺を開かれた道元禅師が、亡くなってからおよそ10年後のことです。子どものころから激しい性格で、そこに母親の影響を受けた観音さまへの信仰が加わり、人を救いたいという情熱へと向かっていったようです。
その思いは高じて、8才にして永平寺に入り、沙弥(しゃみ-お坊さん見習い)の生活を始めます。正式なお坊さんになってからも、いくつものお寺を訪れ、さまざまな和尚さまから教えを受けられました。

日々の暮らしの中にこそ悟りがあらわれるという、道元禅師の教えをたいせつに思っておられた瑩山禅師は、どうすれば、それがもっと人々の生きる力になるだろうかと考えられます。そして、人々の幸せを念じる法要と、教えを伝える儀式を行っていかれました。
あわせて、お釈迦さまの悟りを受け継いでこられた何人もの和尚さま方が、どのような教えを説いておられたのかを、一人ずつ詳しく解説していかれました。それは『伝光録(でんこうろく)』という名で、道元禅師の『正法眼蔵』とならぶ曹洞宗の聖典になっています。

禅師は正中2年(1325)62才で亡くなるまでに、能登半島を中心に多くのお寺を開かれ、すばらしいお弟子さまを何人も育てられました。現在、全国に広がる曹洞宗教団の、基礎をお作りになったのです。
その発展の拠点となったのが、總持寺でした。明治に入り總持寺は能登から横浜に移りますが、永平寺とならんで總持寺が大本山とされ、道元禅師とならんで瑩山禅師が両祖と尊敬されるのは、こういう理由からです。

本堂の奥、開山堂まん中にある道元禅師像の左側に、東運寺の瑩山禅師はおまつりされています。
今の本堂が建ったとき、ご一緒に作られたものではないかと思われます。