去る6月22日、小林麻央さんが亡くなったというニュースがありました。たくさんの方々が、驚きと悲しみをもってお聞きになったことでしょう。翌日に行われた、夫の市川海老蔵さんの会見は、ご夫婦の強い絆を感じさせるものでしたね。

テレビをご覧になった皆さんは、会見をどのように受け止められたでしょうか。
「辛い中であっても、こんな絆を持つ夫婦でありたい」と、思うでしょうか。それとも、「こんな辛い別れがあるのなら、自分は結婚なんてしない」と、お考えになるのでしょうか。

 

会見では、麻央さんの最後の言葉が「愛してる」であったとも明かされています。
そこに、この強い絆のわけを見てとる方は多いでしょうね。逆に、だからこそ、別れがこんなにも辛いのではないだろうか、とお感じになる方もいるでしょう。

 

お釈迦さまは、愛は苦しみを生むものと見ておられました。
お釈迦さまの古い語録には

愛する人に会わないのは苦しい。

それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。

愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。

とまで言われているところがあります。(『ブッダの真理のことば』中村元訳より)

 

いかがでしょう。これは強い絆を生む愛情を否定し、冷徹で無味な人生を送るべきという、極言だとお取りになりますか。自分だったら、たとえ辛さにさいなまれても、愛情に溢れた人生を送りたいと、お思いになるでしょうか。

しかしながら、長きにわたって、辛く沈んだ気持ちから逃れられないままでいることを、もしくは、たいせつな人が辛さに打ちのめされている姿を見ることを、誰しも望んではいないはず。もしも愛情がすべてを救うのならば、涙に暮れる救われない人は、愛情が足りないからということになってしまいます。そうではないことは、皆さんもお気づきではないかと思います。

 

愛情は絆を育み、信頼を築くもとになるものです。ただ、お釈迦さまが見抜かれたように、愛情があるほどに、別れはとても辛いものになります。多くの方が経験し、乗りこえ、または乗りこえられずにいる辛さは、愛情の裏返しです。

この、「愛するものを離れよ」というお釈迦さまのお言葉は、私たち自身を見直させる課題であります。そして、失うわざわいという苦しみから這い上がり、ふたたび安穏なる日々に戻るための助言でもあるのです。