本堂の真ん中、お釈迦さまの左右に立つ二人のお坊さま。右は痩せたお体で、きびしい修行を思い起こさせます。左はふくよかなお顔で、優しいお心持ちを表しておられるようです。このお二人はお釈迦さまのお弟子さま、阿難(あなん)尊者さまと、迦葉(かしょう)尊者さまです。

じつは、どちらが阿難尊者でどちらが迦葉尊者かはっきりしません。というのは、調べてみると両方の説があるのです。いちおう、東運寺では、右の痩せた方が阿難尊者さま、左のふくよかな方が迦葉尊者さまと伝わっています。

阿難尊者はお釈迦さまのいとこ。アーナンダというお名前から、「阿難」と音写されました。
美男子だったそうです。女性にも人気があり、その意味で悩みながらの修行生活だったのでしょうか。お釈迦さまの生きておられるあいだには、ついに悟りを開けなかったと言われています。
しかし、お釈迦さまのおそばを常に離れず、お世話をされました。お釈迦さまが亡くなるときには悲しみのあまり号泣し、お釈迦さまから、「アーナンダよ、泣くな」と諭されたようです。

阿難尊者は記憶力に優れ、お釈迦さまに付き従っていたこともあって、教えられたことをすべて憶えておられました。お釈迦さまが亡くなったあとに、その教えをまとめる会議(「結集-けつじゅう」と呼ばれます)が行われたのですが、そこでは、まず阿難尊者がお釈迦さまのおっしゃったことを述べ、それをみんなで確認し合って、経典が編集されていったと伝えられています。

迦葉尊者は一番弟子。カッサパというお名前から、「迦葉」と音写されました。
リーダーシップに優れ、お釈迦さまからも、他のお弟子さまがたからも、厚い信頼を受けられました。

お釈迦さまの弟子となったのは、かなり後になってからのようです。お釈迦さまの説かれるとおりの生活を送り、その誠実で聡明な態度で、すぐに一目置かれる存在となっていかれました。
迦葉尊者には、「拈華微笑-ねんげみしょう」というエピソードがあります。お釈迦さまが、一本の花を持ってお弟子さま方に示されたとき、迦葉尊者だけがその真意を悟って微笑まれ、お釈迦さまから正式な後継者と認められたという伝説です。

お釈迦さまが亡くなってからは、ほかのお弟子さまを引っ張っていかれるお立場となります。とくに、「結集」では、座長をお務めになりました。のちに伝わる膨大な経典の、基礎を作り上げていった中心の方といえるでしょう。

このお二人のようなすぐれたお弟子さまがたにより、お釈迦さまの言われたことは、正しく後世に伝わりました。どんなに時代が変わっても、人種や国が違っていても、人の心を潤してきたのです。