令和となって、ひと月半がたちました。もう、お慣れになりましたか。

とはいえ、元号が変わっても、もちろん暮らす毎日の中身が変わるわけではありません。今までとおなじような、日常が続いていくわけです。

 

変わらぬ平凡な毎日。さて、みなさまは、そんな日常は価値に乏しく楽しくない、という思いに駆られることもあるでしょうか。

ところが、とつぜん、そんな日常が壊れてしまうことがあります。どんなにショックを受けることでしょう。そのとき初めて、じつは、変わらぬ平凡な毎日こそが、かけがえのない大切な時間なのだとお気づきになるかも知れません。

しかしながら、そんな時が急に来ても、私たちは戸惑うばかりです。どのような心持ちで、どのような行動をしていけば良いのか、判断に迷ってしまうことでしょう。不安をなくして前に進めるような、強い気持ちが薄らいでしまうのです。

 

私は、その強い気持ちをもたらせる力の源となるのは、やはり、それまで暮らしてきた「平凡な時間」だと思います。
平凡でありながらも、じつは、かけがえのない大切な時間の積み重ねが、いざ、人生のピンチが廻ってきたときに、乗りこえていく力となるのです。

もしも、その積み重ねに自信がなくても大丈夫です。
仏教では、現実のあり方を、まず「苦(思い通りにならぬこと)」とみて、そこからどうしようと考え、生きていこうとします。お釈迦さまも、過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだ来ぬものとして、「今、なにをするか」を重要視されていました(『中阿含経・一夜賢者経』)。過去に何があったとしても、まだ遅くありません。今から、平凡な毎日を積んでいけば良いのです

 

日常を脅かすピンチが来てしまったとき、落ち着いて受け止める力が、みなさまの心に満たされていますように祈っています。涙にくれることがあったとしても、いつか必ず、自身を暖める潤いになることを信じてください。