清原和博元選手の覚醒剤による逮捕は、大きなニュースとなりました。

違法な薬物に手を染めてしまった人間は、たとえ薬と縁が切れても、もうそれ以前の体に戻ることはできないと聞きます。「完全に止められた」ではなく、「今日もしなかった、を繰り返す」しかないのだそうです。清原容疑者にしても例外ではありません。

しかし、それをきちんと実現して復帰する人もいます。私たち人間には、善から悪へ墜ちる隙間と、悪から善にもどる力との、両方があるのですね。

 

よく知られる仏教語に「諸行無常」というものがあります。あらゆるものごとは変わり続け、おなじところにとどまらないという言葉です。

それは、私たちも「変わり続けるもの」であること、たとえば心はつねに落ち着かず、体は老いて病にかかることも意味しています。

しかし、私たちが「変わり続けるもの」であるなら、その生き方も、苦しみへ至るものから、安らげる生き方へと変わっていくこともできるはずです。

 

そのあたりのことを、道元禅師もその主著である『正法眼蔵』「発菩提心(ほつぼだいしん)巻」にて

おほよそ発心・得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の悪さるべからず。前刹那の悪いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず。

とお書きになっています。
ここに出てくる「刹那消滅(せつなしょうめつ)」も、諸行無常に通じる言葉です。あらゆるものごとは過去から未来へつながっているが、その実は一瞬一瞬で切り替わっていくというような意味です。

発心して得道してより良き人生を歩むのも、「前刹那の悪」を去らせ「後刹那の善いま現生」させることができるのも、刹那消滅のおかげです。私たちは一瞬一瞬で切り替わって生きていくものだという信念に立ち、過去を引きずらず過去をごまかさず、いまの心持ちと努力を続けることによって、未来を変えていけるわけです。

 

違法な薬物から縁を切ることができた人は、きっと「今日もしなかった、を繰り返し」それを実現しているのでしょう。今日の善を積み立てていけば、悪を去らせ、未来を拓いていけるのです。