お寺の旅行で、曹洞宗大本山である、永平寺にお参りしてきました。
「永平寺」というと、どのような印象を持っておられるでしょうか。
北陸にある巨大な観光寺院であり、厳しい禅の修行道場でもあります。境内に足を踏み入れたときの、何ともいえない荘厳な雰囲気は大本山にふさわしいものですね。
(唐門-もっとも永平寺らしい風景でしょうか)
永平寺の10万坪にわたる広大な境内には、樹齢700年を誇る巨大な杉並木や、70ほどの伽藍が並んでいます。荘厳な印象は、その三方を山に囲まれた、深山幽谷という環境から受けるものでしょう。そして、永平寺の印象とは何よりも、そこで修行する大勢の若い和尚さんからもたらされるものでもありましょう。
永平寺の歴史は鎌倉時代に始まります。
曹洞宗をお伝えになった道元禅師は、安貞元年(1227)27才で中国(宋)から帰国され、はじめは生まれの地である京都で、教えを説かれていました。
その後、有力な信者の誘いにより、寛元元年(1243)京都から福井へ、その活動の場をうつされます。永平寺が建てられたのは、その翌年のことです。
南北朝時代には何度となく戦火にも巻き込まれながらも復興を続け、今のかたちに落ち着いたのは、江戸時代の末になるようです。
いちばん古い建物は山門で、寛延2年(1749)のもの。修行僧の正式な出入り口です。入門するときは、この門の前に並び、許しを待つのです。
この山門を中心に、奥に仏殿や法堂(はっとう)、右に庫院(くいん)、左に僧堂や承陽殿(じょうようでん)が広がっています。
仏殿はご本尊お釈迦さまをおまつりしているところ。法堂は説法や法要の場です。庫院は台所で、雲水が料理をしています。僧堂は修行の根本となるところ。ここで坐禅や食事、睡眠もとります。承陽殿は、道元禅師をおまつりしています。
山門手前の傘松閣(さんしょうかく)は絵天井で知られますね。昭和初めの一流日本画家の手になる、230枚もの絵が描かれています。
(僧堂-雲水たちが坐禅するところ)
永平寺には、いわゆる文化財は多くありません。
ですが、永平寺のいちばんの宝物は、そこにいる人たちと言えます。比叡山をお開きになった伝教大師が「道心有るの人を名づけて国宝と為す」と、いみじくもおっしゃったように、道心を持って集まる人たちの聖地です。その道心を養う曹洞宗の根本道場としての長い伝統を、まったく変えることなく継続してきているのです。
お参りになるみなさまには、どうかその姿に直接ふれて、自らの生きる力のもととしていただければ幸いです。