犯罪や戦争など、誰かが傷つけられるニュースを、たくさん目にします。誰かを傷つけてしまう事件には胸が痛むものです。どんな人でも、自分が傷つけられるのは嫌だと感じていることかと思います。それなのに、どうしてこんなことをしてしまうのだろうと思う方も、いらっしゃることでしょう。
その問いに答えようとする本を読みました。『13歳からの「いのちの授業」』という題名です。
ここで著者は、「なぜ誰かを傷つけることがあるのか」と問いかけ、「その人の苦しみがあまりに大きく、誰かを傷つけずにはいられなくなってしまったからではないか」と仮定しています。
受けた傷を受け止められず、他を傷つけることでしか癒すことができない悪循環なのでしょうか。そこから、「どんなに苦しくても、誰も傷つけないで生きていく方法」を考え、そのように生きるための支えを探す必要がある、と投げかけています。
著者はクリスチャンのホスピス医で、副題にも、「ホスピス医が教える、どんな時でも「生きる支え」を見つけるヒント」と書かれています。ホスピス医が自らの経験と信念をもとに、「生きる支えを見つけるヒント」を、中学生にもわかるようなやさしい話の展開で見せてくれる本でした。
この本では、あくまでお医者さんの目から見た「生きる支えを見つけるヒント」が書かれていますが、その内容は仏教的と言って差し支えないと思います。
たとえば、仏教では「人生は苦である」というスタートから、そこからどうすれば良いか、を考え実践していきます。
ここでの「苦」とは、「楽あれば苦あり」といった、一時的な感覚ではありません。人生とは、「思い通りにならない不条理なものなのだ」ということを指し、その例として、「老い、病い、死」をあげています。
ホスピスには、ガンやエイズの末期において、負担の大きい延命治療より、残り少ない時間をより有意義に過ごしたい意志を持つ人があつまってこられます。そこには、「どうして、こんな苦しみに遭うのが、他人ではなく自分なんだ」という思いがあります。それは仏教で言う「苦」にあたります。
著者は、その不条理への思いからこそ、「生きる支え」を見つけることができると書いています。
その「生きる支え」は、3つの柱で例えられています。
1つめは時間の柱で、これは、たとえば将来の夢です。
2つめは関係の柱で、たとえば、誰々がいるから生きられる、という気持ちです。
3つめは自律の柱で、自分がすることの選択を、自分で決められることです。
「苦」から解放されるには、まずはその柱を安定させることが必要です。もし1つの柱を実現できそうになかったら、他の2本を太くして、カバーしようとすることが重要だと説明されています。
ホスピスの場合ですと、「時間の柱」は細いかも知れませんが、無力な自分を受け入れてくれる周囲の助けが期待されます。「関係の柱」です。その助けによって、自分をたいせつにして過ごせる「自律の柱」がもたらされるとすれば、この「生きる支え」が安定していると言えるのでしょうね。ここには「安らぎに至るために、苦から学ぼう」という姿勢があります。
苦から学べば生きる支えを得て、苦しくても、人を傷つけないで生きられる人になれるのです。そういう人が、みなさんのまわりにはいらっしゃいますか。
いかがでしょう。もしもいらっしゃらなかったら、どうかあなたがなって下さい。