あたりまえに思っているものでも、失って初めてその大切さを知る、ということがあります。たとえば、「健康」はその最たるものですね。
とつぜん、ご家族が病気になり、入院や手術をされるというご経験をお持ちの方は、けっして少なくないでしょう。不安で寝られないという夜も、あったのではないでしょうか。
じつは私も入院したことがありますが、それよりも、家族が手術したときの方が怖く感じました。なにも心配のない毎日は幸せですが、その幸せは、思わぬときに見えなくなってしまうものです。
鈴木光司さんという作家がおられます。ホラー映画で有名な、『リング』シリーズの作者です。
鈴木さんは、『リング』のテーマに「たいせつなものを失うことが、人間の感じる最大の恐怖である」ということを据えたと聞きます。そこで語られる「たいせつなもの」とは、我が子でありました。この作品では、見れば一週間後に死ぬ、「呪われたビデオテープ」を見てしまった我が子を助けるために、正気を失ったような行動を起こす主人公の姿が描かれています。
「たいせつなものを失ってしまう」恐怖の正体とは、「自分が、たいせつに守っているものを、失うことに耐えられるか」という恐怖なのだろう思います。
『リング』はフィクションですので現実には起こりませんが、「たいせつなものを失う」ことは、残念ですが、かならず出会ってしまいます。たいせつなものも、また自分自身でさえも、いつか失われるときが来るからです。
いったい、この恐怖から、逃れることはできるものでしょうか。逃れるためには、どのようにすれば良いのでしょうか。
この質問には、仏教ではすでに答えが出ています。この恐怖を乗り越えるための、叡智と実践の蓄積が、宗教の本質と言えると思います。
「逃れる」ではなく、「共に生きる」ということが、ひとつのポイントです。その違いを考えてみるのは、大きなヒントになるでしょう。