お彼岸はお盆とおなじく、お寺やお墓参りがなされる期間ですね。日本独特の行事だそうです。

そのルーツは古く、一説では平安時代はじめの大同元年(806)、崇道(すどう)天皇のために、全国の僧たちに春秋二回、七日の間、「金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)」というお経を読ませたことから始まっているとされています。

崇道天皇とは、平安京に都をうつした桓武天皇の弟で、実際には天皇にはなりませんでした。ある暗殺事件の黒幕と噂され、無実を訴えたまま亡くなってしまったのです。
ところがその後、皇室に病死があいつぎ、これが祟りと恐れられるようになります。その怨みを鎮めるために、天皇と称するようになったと伝えられています。

お彼岸の起源には、荒ぶる霊をなぐさめる意味もあったようですね。現在では、そこから転じたのか、ご先祖さまの安らかなることを願う、供養の行事となりました。「彼岸」という言葉は『源氏物語』にも登場するほどで、まちがいなく、日本の古い伝統と言えます。

 

また、お彼岸は、太陽が真東から上がり真西に沈む日(春分の日・秋分の日)を中心に、七日間あります。太陽は私たちが生きるうえで無くてはならないもの。むかしから太陽を拝む信仰もあります。そこには作物の豊穣を祈ったり、豊作を感謝したりする気持ちが込められてきました。

さらに、「彼岸」を辞書で引くと、「人間の世界を、超越したところ」という意味も出てきます。そこを仏教ではとくに、「悟りの世界」として意味づけているようです。

 

つまりお彼岸とは、ご先祖さまをおまつりし、実りに感謝するおまつりであるとともに、悟りの世界に親しむ一週間であると言えるでしょう。

 

ただ、「悟りの世界」は、私たちが生きているこの「日常の世界」から、離れているものではありません。悟ることが、迷いや苦しみ(たとえば老いや病い)そのものを消すわけではなく、迷いを迷いでなくするような生き方に向かわせるわけです。これは日本仏教の、いちばんのポイントと言えます。
たとえば、不安のない幸せを、どこかに探しに行っても見つけられなかったのに、ふと自分を省みると、その足もとにあったと気づいて感謝する。そういった気づきがある毎日は、悟りに通じるものと思います。

 

お彼岸のあいだ、どうかみなさまには、お寺のご本尊さまやお墓へのお参りを通して、そのご恩にむくいられる日々が、お過ごしになれますように。
そして、その毎日が仏さまによって照らされ、安らかさに満たされた人生を、お送りいただけますように。

「お彼岸」についてもう少し、曹洞宗公式サイトのページもご覧ください。
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