「お盆」は、日本ではひとつの行事として定着していますね。みなさまは、どのような思い出を持ってらっしゃるでしょうか。

仏教行事としてのお盆は、ご先祖さまをはじめ、あらゆる御霊をおまつりし供養するものです。日本では、飛鳥時代にあたる西暦600年代から、行われていた記録が残っているようです。

お盆には、独特の飾りがあります。

キュウリの馬や、ナスの牛がよく知られるでしょうか。どちらも夏野菜ですね。ほかに、お素麺やホオズキなどもお供えされます。スーパーに行けば、いわゆる「お盆お供えセット」も売られていますね。
このように、取れたての野菜などをお供えし、亡くなったたいせつな人やご先祖さまのお帰りを、ていねいにお迎えをしているわけです。

 

 
ところで、お盆の正式名称は「盂蘭盆(うらぼん)」と言います。その起源には、いくつかの説があるとされています。

『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典に載っている、「逆さ吊りの苦しみ」を意味する「ウランヴァナ」が語源という説。

古いイラン語で「霊魂」を意味する、「ウルヴァン」から来たという説。

私たちが今でも使っている「お盆」と、その語源は一緒だという説もあります。インドで、採れたお米を和尚さんのところへ運ぶために使っていたお盆から、その行事の名前がとられたというものです。現代の日本では、旬の野菜をお供えしていますので、古来からの農業祭という見方もできそうです。

なんともさまざまな顔を見せる「盂蘭盆」でありますが、おそらく、上記のすべてが、ある意味正解なのでありましょう。(最新の研究では、最後に紹介した、お供えを運ぶ入れものから来た説に確定されつつあるようです)

 
このように、お盆は伝えられてきたわけですが、そこには、続いてきただけの理由があります

あらためて申し上げるまでもなく、私たちは、いつかその生命を終える生きものです。そして、ふだんは忘れていますが、私たちはそのことを恐れています。

その恐れの中には、「自分が忘れられてしまうのではないか」という不安も含まれている、と聞き及んだことがあります。
ほんとうは、できるならば生きてお話のできるうちに、「そうじゃないんだ。あなたを忘れることはないんだ」と伝えられれば良いのですが、とつぜんの別れなど、それがかなわないこともあるでしょう。

だからこそお盆の機会に、亡くなったたいせつな人と、再びつながろうとする気持ちを形に表す営みは、大きな意味があることなのです。お盆の風習がずっと続いてきたのには、このような理由があるのだと思います

 
先にご紹介した盂蘭盆の語源に沿っていうならば、私たちが、思いを寄せる(ウルヴァンのような)御霊に対して、夏の食べものやお飾りを供えて供養し、それによって、(ウランヴァナのような)思い通りにならない現世を生きていく力と気持ちを得る、のがお盆の真骨頂でしょう。

 

 
日本のお盆は、7月半ばや8月半ばなど、地域によって時期が違います。お仕事の方も、お休みの方もおありでしょう。
しかしながら、共通してお盆のあいだは、とくべつな感覚をお持ちではないでしょうか。

どうかみなさまには、おうちのお仏壇、お寺のご本尊さまやお墓へのお参りを通して、生きている感謝に満ちた日々を、お過ごしいただけますように。
そして、安らぎや幸いが足もとに見つけられ、不安のない人生をお送りいただけますように。

 
「お盆」についてもう少し、曹洞宗公式サイトのページもご覧ください。

 
※ イラストは「京仏具 小堀」様のサイトより頂戴しました。