ふと思う「人は何のために生きるのか」(2022.8.1)

安倍元首相銃撃のニュースは、容疑者の動機に旧統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」)との関連があることがわかり、さらに驚かされることになりました。捜査による解明が待たれるところです。

 
カルトと聞くと、危険だと言われているのに、どうして自ら入っていってしまうのだろう、と疑問に思われるかも知れません。先日、カルトからの脱退を支援する方が、カルトに入信してしまう人としない人の差はあまりなく、ただひとつ、「人間の根源的な救済や教えを求める「核」を持っているというだけ」であったと書かれている記事を、興味深く読みました。→ こちら

そういう人たちが、ふとしたときに「人は何のために生きているのか」という不安に襲われたとき、カルトに絡め取られる危険があるようです。カルトは、そんな不安に答えを出してくれる、苦しむ私を救ってくれると思わせる術に、長けていると見られています。

 
ところでみなさんは、「何のために生きているのか」と問われたときに、たいへん失礼ながら、信念を持って即答することができますでしょうか。それは10年後も20年後も、決して変わらない、という自信がおありでしょうか。

 
いやいや、ほとんどの方は、詰まってしまうのではないでしょうか。

 
ところが、上で紹介した記事の中には、私たちは「その時々で必死に考えて試行錯誤しつつ、三歩進んで二歩戻るような歩みでしか現実は生きられない」と出てきます。

そこには、「何のために生きているのか」への、はっきりとした答えがなくて、悩みながらでも毎日を過ごす私たちの姿があります。
言い換えると、私たちは、答えのない不安定な現実に、無意識のうちにも耐えながら暮らしているのです。そして、それでOKなのだと言っているようにも見えます。

 
そういう「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を、「ネガティブ・ケイパビリティ」と言うのだそうです。

 
たしかに、苦しんでいたり悩んでいたりするのは、それがすぐに解決ができないということも、大きな理由のひとつかと思います。そんな、すぐに解決ができない人生の疑問に対して、急いでわからなくても良いんだ、わからないままで良いんだ、という励ましを、ネガティブ・ケイパビリティは与えてくれるのでしょう。

「ネガティブ」と聞くと、どうも後ろ向きな悪いことのようにも感じてしまいます。
しかし、とかく前向き前向き、ポジティブポジティブと言われることが、裏目となって落ち込んでしまうことも、往々にしてあります。
そんなとき、このネガティブ・ケイパビリティを思い出してください。悩んでいても良いんだ、という助けになるでしょう。生きていく強さとは、答えのない不安定な中に、知らず知らずのうちに育っているのだと思います。