タイトルは、「菩提(ぼだい)の種を蒔く日かな」とつづく句の頭です。松尾芭蕉の作とも聞きます。

「菩提」を国語辞典で引いてみると、「悟りの境地」と出てきます。お彼岸にあたり、悟りの花を咲かせる種を蒔きましょう、ということになるでしょうか。
しかし、悟りの種をいったいどこで、どうやって手に入れることができるでしょうか。残念ながら、スーパーや種屋さんでは売ってなさそうです。

 

ところで、ふつう種は蒔かれただけでは芽を出しません。たとえば水や太陽、適度な肥料が必要です。じつは悟りの種も、その点ではふつうの種とおなじなのです。
ここを読んでいただいているみなさまにも、水や太陽や肥料に当たるもの、つまり自分が日々を送るにあたって、育ててくれたり、助けてくれたりするものがあろうかと思います。

それは、ふだんの生活では気づくことの少ないものです。

それは、ピンチの時にこそ気がつくものかも知れません。

それは、ときに耳に痛いものかも知れません。

 

そして、それらが自分にとっての水や肥料だとわかったとき、悟りの種は、じつは自分の手元にあるのです。

 

ただし、手にしているだけでは、まだ花は咲きません。手にした種を蒔かなければいけません。ぶじに花を咲かせなければなりません。

 

これにはコツがあります。今度は、まわりの人たちの、水や肥料になってあげるのです。
「菩提の種」は、となりの畑に蒔けば蒔くほど、自分のところに芽がいっぱい出てくる、、というふしぎな特長があります。

「お彼岸」についてもう少し、曹洞宗公式サイトのページもご覧ください。
当サイトの、このページもご覧いただけましたら幸いです。