どこの話だったか。むかしむかし、猟師がふたりおった。
彼岸のことじゃ。ふたりは山に入った。ひとりがたまたまイタチを生け捕りにした。
得意になる男に、もうひとりが言った。「おーい彼岸じゃ、助けてやれ」
男はあわてて放してやり、不思議そうに言った。
「なんと、あれがヒガンか。聞いたことはあったが、イタチそっくりだ!」
と、こんな笑い話があったように記憶しています。
中身はお読みになったとおり、「お彼岸」という時期と、「殺さない」という教えが盛りこまれたもののようです。
さて、「お彼岸」というと、どのようなイメージをお持ちでしょう。まずはお墓まいりをして、ご先祖さまにご挨拶する、という印象でしょうか。
お彼岸の折りに聞く「お説教」では、ご先祖さまにおまいりするとともに、仏さまの教えにふれるための期間、という説明をよく聞きます。
上の昔話では、うまくその教えに触れています。「殺さない」というところです。
じつは、仏教を信仰する者が身につける誓いとして、この「殺さない」は、いちばんはじめに出てきます。それだけ大切なことなんだろうと思います。
しかし、ふとかえりみると、これは不可能なのでは、と気づきます。
私たちは食事などで、ほかの命を奪って生きています。これは厳粛な事実です。生きものが生きるためには、ほかの命が必要なのですね。
みんな、それはよくわかっています。それなのに、「殺さない」というのは、どういうことなのでしょうか。
たとえば、できるだけ無駄な殺生をしない、という生き方のお手本でしょうか。「殺さない」ことができない自分を、ごまかすことなく受け入れるための指針でしょうか。それとも、もっと深いところに、答えがあるのでしょうか。
さて、あなたは、どのようにお感じになりますか?
ふだんから考えることではない、かも知れません。ですが、そんな思いをめぐらせることによって、仏さまの教えに触れることができます。
この、「殺さない」にこだわっていただく必要はありませんが、お彼岸の機会に、仏教に思いをめぐらしてみるのも良いものです。きっと、いちばんの功徳となって、あなたの身心に積み重なることでしょう。
「お彼岸」についてもう少し、曹洞宗公式サイトのページもご覧ください。
当サイトの、このページもご覧いただけましたら幸いです。