安倍元首相銃撃事件の、容疑者が起訴されました。
事件も衝撃的でしたが、その後、旧統一教会に関することが明らかになるにつれ、「カルト」と呼ばれる組織の怖さが、あらためて知られるようになりました。

 
旧統一教会の問題は、とくに「霊感商法」が有名かと思います。
先祖がたたっていると脅迫し、そのたたりを解消すると言って、商品を法外な値段で売りつけたり、巨額の献金を迫ったりするものです。

被害に遭われた方々は、もとは、何かしら不安を持っていたり、救いを求めていたりしたのかと思います。
そこに、カルトは正体を隠し、親切な顔をして近づきます。そして、時間をかけて、そのカルト以外の考え方が入ることを断ち、そのカルトだけが正しいのだと思い込むように、コントロールしていくようです。さらに被害者は、教えに反すると地獄に落ちる、といった恐怖を植え付けられ、気づいたときには、もう脱けられない状況に追い込まれるのです。

こう聞くと私たちは、カルトにはまる前に気づけば良いのだと考えます。しかし、これだけの被害があるのは、それが、そう簡単ではない証拠だと言えるかも知れません。

 
では、カルトと、カルトではない宗教ではどう違うのでしょう。私は今のところ、カルトとはこのような団体だと考えています。

・たたりなどの恐怖を持ち出して、供養や献金を強要すること。

・他の宗教や宗派の話しを受け付けず、自分たちの教えだけが正しいと主張すること。

・脱けようとすると強い抵抗が始まり、脱けさせないような拘束が起こること。

 
このようなやり方では、なくなるはずの不安が、さらに強まってしまいます。

 
その誘いがほんとうに不安を安らげ、幸せや、救いをもたらす教えなのか、最初にわかれば良いのですが、なかなかそうはなっていないわけです。なので、そうならないように、苦しみ悩む人たちが、まずカルトに向かわないようにする必要があります。

あなたが相談に乗ってもらっている人や団体があって、もしもハテナ? と思うことが出てきたら、その集まり以外の人に相談してみたり、できるならば、なるべくたくさんの人たちに、話しを聞いてもらったりすることは大切かと思います。

 
そしてお寺の者としては、救いを求める人に、カルトではなくお寺が力になるために、お寺がどうあれば良いのか考えさせられます。

ひとつは、地道な信頼関係かと思います。宗教は、人間の苦しみを和らげるため、その生き方や考え方に、一石を投じる役目があります。ですが、その教えが続いていくためには、カルトのやり方に寄らないようなあり方で、お互いの信頼関係を築き続けることが不可欠です。お寺の者としても、肝に銘じたいところです。

 
この問題について、2023年1月12日付けにて、曹洞宗宗務総長が談話を発表しています。そちらもぜひご覧ください。
曹洞宗宗務総長談話(旧統一教会をめぐる社会問題に関して)

カルトのことに関して、当サイトの、この小文もご覧いただけましたら幸いです。